ORCサーキット誕生秘話

町から「あそこ占有で使ってレースとかしてみない?」的な話があったのが今年(2004年)の5月GW中のことである。
バックグランド的に「あそこ」では使われていない駐車場と言うこともありRCカー走行にもってこいで、今までもトラロープ等を使ってコースを作り楽しんでいた。
しかし。それは個人レベルで楽しむ程度のものであり、とても他人様から身銭を頂けるような物ではないのである。つまり、「あそこ使わせてやるからコースを整備して料金を貰える様にして欲しい。」ということだろう。
多々の問題があった。
水、トイレ、電源。コースの整備に使う資材をどう調達するのか、その設営人件費はどうするのか?
水、トイレそしてコース外の整備は町がしてくれることになり、6月に入った頃から業者さんが入ってきた。
コース奥の荒地を整備してアスファルトを敷いてくれた。これは予想外だったが「どうせならアスファルト敷いてください」と言ってみたのが効いたのか・・・。
その工事中、ストレートへの立ち上がり部が大きく陥没。もともと小さく凹んではいたのだが重機が出入りして悪化したらしい。RCカー走行に支障をきたすレベルで、早急に直して貰った。
5月、6月は仕事が鬼の様に忙しく、コースの整備はまったく出来なかった。
7月に入り、1週間程の休みを取った。もちろん私自身でコースを設営するためである。私が設計して町に工事をしてもらう手もあったなぁと今更ながらに思う・・・・。
資材は会社の廃材であるケーブル、ケーブルトラフ(U字溝)とその蓋。工事であまったモルタルを業者さんから譲っていただき、ケーブルトラフの固定に使うことにした。その後タクシー屋さんの御好意で三角のコースフェンスを戴けることになりなり、何とか形になりそうな気配が漂ってきた。
1日目(7/2金曜)、午前中 コンクリート用の釘やタロブネ(モルタルを練るオケ)などを買ってくる。
午後からコースとなる路面の清掃と会社から資材を4ton車で運ぶことから始める。ケーブルトラフは総重量3ton程となった。積み込むだけで1日が終わってしまい、自宅に持って帰った。路面の清掃はタクシー屋さんがしてくれた。
2日目(7/3土曜)、資材をポンプを使って水洗いした。午後からORCサーキットに運び込み戸川くんと渉くんに手伝ってもらい仮置きした。
3日目(7/4日曜)は引き続きコースの洗浄とケーブルトラフをコンクリートカッターで底の部分から縦に2つに切断しレイアウト上に蓋とともに配置していく。タクシー屋さん、戸川くん、渉くんに手伝ってもらう。
4日目(7/5月曜)は仕事に呼び出されてしまい、手付かず。
5日目(7/6火曜)、タクシー屋さんの所までコースフェンスを取りにいく。ORCサーキットに到着後痛んでいるものと使えるものを選別し、コースに配置していく。
6日目(7/7水曜)、モルタルを練りケーブルトラフと蓋をコースに固定していく。
7日目(7/8木曜)は仕事に呼び出されてしまい、手付かず。
8日目(7/9金曜)、水曜の残りと、コースフェンスをコンクリート用釘でアスファルトに打ちつけていく。
9日目(7/10土曜)コース内に色を塗る。雨も降り1日では塗りきれない。雨のときはコーナー部のケーブルのレイアウトを変更したり補強したりする。
ここまで、ようやく何とか走れるようになった。が、完璧ではない。
10日目(7/17土曜)コースフェンスの固定とケーブルの固定を行う。エアコンプレッサーの設置も行う。
11日目(7/18日曜)前日同様
12日目(7/19月曜)前日同様、この日は仙台からGPラジ助さんらと仙台からのお客さんが来てくれた。
ハイグリップな路面に驚かれていた。
13日目(7/21水曜)タクシー屋さんと電気屋さんが路面にハイグリップ処理を行ってくれた。
14日目(7/24土曜)電源用ケーブルの埋設を行う。この日はGP2台が走っていた。その後渉くんとコントロールスタンドの組み換えを行った。夜9時までかかった。
15日目(7/28水曜)コースの塗装を行う。あと一日かかりそうだ。コースフェンスを若干変更した。
16日目(7/29木曜)コースの塗装も終わり、コースレイアウトの最終変更を行った。
17日目(7/30金曜)エンジンつきの農薬散布機を家から持ってきてハイグリップ処理を行う。

これでようやくレースを迎えることができる。延べ工数23人となった。はもうラジコンが嫌いになるかと思うくらい厳しい日々だった。仕事で夜も練れない日があったりした中での作業は思うように進まなかった。
しかしまだ作業は残る。電源盤の設置、看板の設置・・・

過去のORCサーキット

2004年当時の状況


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